エンピツプロジェクト

世界の子どもたちに文房具を届ける

NEWS

子ども環境情報紙「エコチル」 臼井 純信さん 「地域、社会と共にエコロジーな子どもたちを育む」

地球環境に関する情報や取り組みを子ども向けに分かりやすく伝える、子ども環境情報紙「エコチル」を北海道、東京23区、横浜の公立小学校に毎月無料で配布している株式会社アドバコム。同社代表取締役であり、エンピツプロジェクト立ち上げにも尽力いただいた臼井 純信(うすい すみのぶ)さんに、「子ども」「環境」「教育」をテーマに取り組まれている社会課題解決事業についてお話を伺いました。

また、昨今のコロナ禍でご自身が感じた環境の変化についても語っていただきました。

– 会社創業からエコチル事業立ち上げまでのストーリー

株式会社アドバコムを設立したのは2001年の24歳の時。今はエコチルが会社として事業の中心になっていますが、実は創業から5年後にエコチル事業が立ち上がりました。僕は元々広告会社出身で18歳からこの業界に入りました。企業のビジネスがうまくいくように広告を作り世に出し、それを見た人が、お店に来店したり、サービスを使ってくれたりする。このように、自分が携わったもので多くの人の意識を変え行動を起こしてもらえることにやりがいを感じ、この仕事で一生食べていくんだ!と決めていたくらい、とても情熱を持って楽しくやっていました。

しかし数年経ち、広告代理店の仕事も身についたと同時に仕事の壁にぶつかりました。シェア争いや利益を追求するのではなく、この広告やプロモーションの影響力を使って、大好きな生まれ故郷 北海道や育った地域のため、ひいては地域や社会をもっと良くするための広告やプロモーションができないか、と強く思うようになりました。

当時は会社員だったので、社会課題に対しての広告提案をしても、もちろん僕だけの意見では提案を受け入れられはずもなく、依頼された仕事をちゃんとするようによく注意されていましたね。なので、自分がやりたいことをやるには会社を立ち上げて、社長として責任を持ってやるしかない、と思い独立、(株)アドバコムを創業しました。

 

当初は4人でスタートしたのですが、軌道に乗るまでは、寝ずに働くような日々が3年くらい続きとても苦労しました。しかし、ふと自分は地域や社会をよくするために起業したんだと気付いてからは、社員に少しずつ任せながら、自分で新しい事業ができる環境にしていきました。とはいえ、地域や社会に役立つ新しい事業ってなんだろうと、再び悶々と悩んでいた頃、結婚、そして長女を授かりました。

少しずつ妻のお腹が大きくなっていくのを側でみながら、自分も父親になるのだという実感と、父親として生まれてくる子どもに誇れる仕事がしたい、という気持ちの芽生えから“次世代の子どもたち”“地球環境”というキーワードが浮かびました。そこから「子どもたちに、もっと環境に関心をもってもらえる機会をつくろう」「地域社会と学校、家庭をエコでつなぐプラットフォームになろう」という想いからエコロジーチルドレン=「エコチル」に行き着きました。今思うと、子どもを授かっていなければエコチル事業は生まれていなかったと思います。

創刊当時はまだエコという言葉も通じなかったくらい地球環境問題の認知は高くなかったのですが、北海道洞爺湖サミットが開かれた2008年をきっかけに、地球環境について真剣に考えなければいけなという世の中の雰囲気になっていったと思います。

エコチル事業が始まって今年で15年目ですが、元々は札幌だけで10万部から始り、その後東京23区、横浜、北海道全域、さらに札幌では中高生にも届くようになりました。

環境問題は一地域の問題ではなく、地球規模の問題です。なので将来的にはエコチルを世界中に届けたいと思っております!

 

 

– コロナ禍で変わったこと、感じたこと

北海道は2月から新型コロナの感染が拡大し、一足先に緊急事態宣言が発令、その後学校が臨時休校となり、全国にも拡大したことで、エコチルを発行日に十分届けることができないという状態が3ヶ月続きました。そのような状況になるとは全く想定しておらず、また今まで味わったことのない経験でかなり戸惑いました。けれどその状況下だからこそ、なかなかできなかったエコチルのデジタル化が一気に進んだり、変化に対応して行かなければと、自分自身も含め、意識の変化がありました。

また例年だと毎週のようにイベントを行っていたのですが、このコロナ感染拡大の影響で全くできなくなり、その中で何ができるかという時に、エコチルオンラインスクールが立ち上がりました。家で過ごす子どもたち向けに様々な動画やコンテンツを発信しているのですが、今一番新しい企画として、コロナ禍の中で生まれた「あいてますか」という、千葉県船橋市の先生考案の衛生的な生活をするための合言葉の推進です。

長い間、休校となっていた学校も6月からは分散登校が始まっていますが、今までの生活スタイルとはガラッと変わり、学校でも気をつけないといけないことがたくさんあるのですが、子どもたちに「ソーシャルディスタンス」などといっても分からないので、子どもたちにもわかる合言葉にした「あいてますか」ポスターを作り、札幌全域の小学校にポスターを無償で配布しました。また多くの学校やご家庭でも活用してもらえるよう、エコチルのWEBマガジンから自由にダウンロードできるようになっております。

こちらはSDGsの項目である「すべての人に健康と福祉を」の目標達成に貢献する、新しいSDGsプロジェクトの一つとして地域の企業とも協業して取り組んでおります。

エコチルSDGsプロジェクト

また、コロナ禍において広い視点で見て感じたことは、世界的に経済活動や製造が止まり、一気に人が移動しなくなったことにより、世界中の二酸化炭素の排出量が劇的に減ったそうです。「自分たちの住んでいる街の空が、こんなに綺麗に青く見られたのは初めてだ」と言っていた海外のニュースが印象的でした。

一方で、これだけ経済がストップすると、雇用が失われたり収入が激減するなど、生活ができずに生きていけない人が溢れております。なので経済活動と環境保全の融合というのは本当に大事で、バランスをとっていかないといけないのだと思いました。

エコチルを始めた時も同じように、この事業は単なる慈善事業や社会貢献ではなく、経済的原動力を持ち持続性のある事業となるために、社会課題解決をビジネスとして行うという覚悟と意識でやっております。

僕らは子どもたちや地域の人たちと一緒に環境問題を解決していきましょうと呼びかけ、社会課題解決に貢献する企業を目指し、未来を信じて続けてきました。エコチルと共に自分自身も歳を重ねて、広く知ってもらえるようになった反面、世の中に伝えることの難しさや様々な偏見もありますが、この経験で改めて社会課題解決と経済活動はバランスを持って行っていくことが大事だと、原点に戻ることができました。

 

 

– エンピツプロジェクトとの出会い〜フィリピンへ届けた時のエピソード

今から約2年前というのは、エコチルとしてSDGs(持続可能な開発目標)という大きなテーマに対して、どう解釈し取り組んで行こうかとちょうど考えていた時期でした。

そんな時にエンピツプロジェクト立ち上げメンバーとお会いしてお話した時は「エコチルがやりたいSDGsと合うかもしれない」とピンと来ました。エコチルSDGsプロジェクトはまさにエンピツプロジェクトから始まりました。

 

エンピツプロジェクトが動き出した当初は未知の世界でしたが、北海道で文房具寄付を呼びかけるとすごい数の文房具が集まり、こんなにも協力してくれる人がいるのだと驚きました。わざわざ会社まで足を運んでくれたり、送料払って郵送してくれたり、または新しく買って持ってきてくれる人もいました。そういう協力してくれた人たちへの感謝の気持ちとして、これをしっかり届けなければいけないと責任感へと変わっていきました。

 

目的地の小学校はセブ市内から離れた孤島だと聞いていましたが、乗る船を見たときは「これで無事に辿り着けるのか?」と不安と衝撃が走りましたね。でもその道のりがさらにこのプロジェクトをドラマチックにし、子供たちに会えた時の喜びが倍増しました。

学校の前に着くと、子供たちが嬉しそうに集まってきて、トラックを囲んで荷物を運んでくれました。あんなに目をキラキラさせて喜ぶ姿を見れて、交流できたことは、かけがえの無い経験となりました。

 

今思えば「ENPITSU PROJECT」というネーミングも素敵ですし(笑)(※当初は違うプロジェクト名)、構想も本当に素晴らしく、何よりこのチャレンジが素晴らしいと思います。ただこういう活動を続けていくというのは本当に大変なので、僕らの活動とコラボレーションできることはないか、どうしたらもっと協力者や関係者を増やしていけるかなど、決して人ごとではなく、僕も常にエンピツプロジェクトのことを考えながら、これからも応援していきます。

 

 

株式会社アドバコム

エコチルWEBサイト

NEWS一覧へ戻る

NEWS一覧へ戻る